医学部に学士編入した臨床心理士のブログ

医学を学ぶ必要があると考え学士編入した臨床心理士の、心理学、医学、雑学ブログ

KALSの授業科目について。2年ぶりの記事(笑)

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コメントありがとうございます!

おはこんにちばんは。2年ぶりの更新です。

1か月前にコメントをいただいていたのに、全く気が付かないほどに、このサイトの存在を忘れてしまっていました。もう記事の書き方も覚えていないのですが、とりあえず勢いだけで記事を書き出しています。今夜も寝当直になるのか、ドキドキしながらの夜です。

軽く近況報告しますと、現在は初期研修医2年目で、必修ローテートは完遂し、1月からは精神科を好きなだけローテートできる!4月からは精神科専攻医に決まっている、という状況です。

 

さて、ご質問をこちらに転載させて頂きますね。

突然すみません。
春から私立大学の心理学部に進学する高校3年生です。大学卒業後に医学部学士編入を考えており、コメントを送らせていただきました。
大学4回生で1回目の受験を考えており、高校では文系で理科基礎までしか履修していなかったため、勉強を始めようと考えています。大学に通いながらであることや、KALSの校舎には通える距離ではないため、1回目の受験は通信で臨もうと思っています。
主さんとは経験は全く違いますが、同じく文系で心理系ということで、近いものを感じました。
受験科目は、何の科目で受験されたか伺いたいです。生命科学と英語はもちろんですが、物理化学や数学なども勉強されましたか?またKALSの授業(コースなど)をどのようなスケジュールで取られていたか、よろしければ伺いたいです。
突然のコメント失礼しました。

ひよりさん、大学合格おめでとうございます。春から楽しみですね。ご実家から通われるのか、もし一人暮らしをされるのなら、それもまた楽しみと不安とあるでしょうね。自分にとっては10数年前の話になりますが、是非大学生活を楽しんでくださいね。ところで、どうして医学部学士編入を考えているのでしょうか。好奇心もありますが、面接でも必ず問われます。

 

受験科目と勉強スケジュール

僕もひよりさんと同じように文系で、理科系はめちゃめちゃ弱かったです。少しでも受験できる大学を増やすために物理化学の理系科目もKALSで勉強しました(さすがに数学までは手が出なかった)が、実践レベルには全く届きませんでした。そのため、英語と生命科学だけで受験できた大学3つくらいを受験しました。理系科目も手が出るならさらに受験可能な大学数は増えるでしょう。一方で、自分が英語や生命科学の勉強時間が減るため、一長一短だと思います。僕は途中で理系科目は諦めて、英語と生命科学を極限まで高めました。合格した大学では英語と生命科学は200人中2位となり、合格できました。理系科目も勉強していたら、今の大学には合格できなかった可能性があります。悩みどころですね。

スケジュールについては、1年コースセットを取れば、KALSの方がある程度ペース配分をしてくれます。それに沿って進めれば問題ないでしょう。授業を単発で購入する場合には自分でペース配分する必要が出てきます。KALSは基礎⇒応用⇒実践(名前は忘れたがこんな風に3段階)で構成されています。基礎6カ月、応用3か月、実践3か月といった感じで進めた気がします。勉強の仕方については、既に大学受験をされていますし、自分なりの方法を確立されているでしょう。不安であれば(僕は不安でした)、ネット上やYoutube、読書猿さんの書籍含め巷にあふれる勉強Howto本を読み漁り試行錯誤するのが良いと思います。

 

心配なこと

ところで、少し心配なことがあります。4回生で学士編入を狙っているのですね。なるほど。

学士編入は大学卒業者の受験枠ですから、まずは大学卒業が必須となります。心理学系の学部の場合、おそらく卒業論文として心理学分野の研究発表が課せられるところが殆どだと思われます。就職を進路にしていた同期は、卒論と就活でやはり大変そうでした。僕自身は4回生の卒業論文と、臨床心理士の大学院受験が重なったため、非常に苦しかった記憶があります。そんな中で、医学部学士編入卒業論文と同時にやるには、相当なパワーと固い意志が必要だと思います。周囲からの理解が無い場合は、孤独とも戦うことになります。僕は臨床心理士の大学院を受験する仲間が居なかったため、その時は非常に孤独でした。

それから、KALSは高額です。また受験は各大学への交通費、宿泊費、受験料など発生します。こうした経済的な障壁があるため、どうにかして金銭を工面する必要があります。

こうした課題について、何とかクリアできることをお祈りします。

 

おわりに

最後になりましたが、ひよりさんコメントありがとうございました。残りの高校生活や、4月からの大学生活が楽しい有意義なものになりますように。応援しています。

 

 

 

心理療法①傾聴共感受容の序列

心理療法とは一体何だろうか

 精神療法や心理療法を考える時、様々な要素を考慮しなければならない。また様々な背景知識がその心理療法についての理解を深め、あるいは必須であろう。そうした種々雑多な事柄について総括するには大きな困難が伴う 。特に こうした勉強会においては全ての事柄を扱うのは非常に難しいだろう 。よってこの研修会では 私が重要だと思ういくつかの事柄について コメントするに留め、それ以上の詳細 なことが知りたければ各自で最後に紹介する書籍にあたっていただくのが一番かと思われる。つまりこの会で私に課せられた使命は 皆様方が心理療法や精神療法についてほんの少しでもその長所メリット 良さを実感していただき 、少し自分でも勉強してみようかなと思っていただけることとなる。ハードルが高い 大成功なプレゼンテーションであろう。 まぁ進めていくことにする。

 

傾聴・共感・受容の関係

そもそも心理療法とは一体何だろうか。

心理療法について思い浮かぶイメージを尋ねる。なんでも良い>

 一般的なイメージとしては傾聴・共感・受容、この3要素がキーワードとして、 大体 まああたっているのではなかろうか。 だが言うは易し、行うは難し。 この三つの要素を実際に完璧にできている人はそうそういない。専門家であっても常にできるわけではない。 だからこそ心理職というのが専門技術職として成り立っているのである。

この3要素は、それが目的ではない。ラポール形成、陽性転移の関係を構築することが目的である(言い切るのは危険だが)。良好な関係を作ること自体が治療的な働きを持つし、薬物療法や状態増悪に際した入院の勧めを行う際にも、ポジティブに作用するのだ。

(良好な関係、とは言ってもただの仲良しではない。母と子の関係ほど近くない、教師と生徒の関係ほど遠くない、ちょうどその2つの中間くらいの関係を、私はイメージしている。関係性自体の治療効果については、また別の回に。成熟可能性)

(患者の立場になったとき、精神に作用する薬を飲みたいと思うだろうか。私は不安と恐怖を感じる。そんなもの、飲んでも大丈夫なのか、と思う。信頼できる医師であっても怖いのだから、私の話をきちんと聞いてくれない、目も合わせない、いい加減そうな医師の薬など飲めるものか、と思う。)

 

<傾聴・共感・受容について、イメージを尋ねる>

この三つは同列だろうか。そうではないと私は考える。 受容。皆さんはあらゆる事柄を受容できますか。家族の欠点、友達の嫌いな面、酒癖の悪い先輩、教師のセクハラ、毎回試験直前に一夜漬けで乗り切る要領の良い同級生、当人の母親の悪口ばかり言う彼氏。彼らの言動を受容できるだろうか。 答えは否でしょう。 何故そんなことをするのか。相手の気持ちに立って、私の気持ちになって考えてみてくれよ。イヤな話は聞きたくない。心がすり減ってしまう。大方の人はそう思うのではなかろうか。

 

共感・受容するための傾聴

臨床心理士は、精神療法に精通する精神科医は、いかにして彼らとラポールを形成するのだろうか。受容するためには共感が必要である。共感できないことを受容するのは 難しいだろう 。では どうしたら共感できるだろうか。 自分の価値観の外にある話、常識の外にある話、つまり一見非常識な話を共感できますか。実は、というか当然であるが、人の数だけ常識がある。 皆さんそれぞれに常識・価値観があって、それが邪魔をする。もしかしたらこう考えている方もいるかもしれない。「治療者セラピスト支援者は ご自分の常識をゼロにして、空気になって 相手の全てをあるがままに受け入れる」。 そういうのは理想論ではあるが不可能である(村上春樹の小説に、そういった描写があった)。 だから傾聴するのだ。 傾聴とはつまり、ただ聞くわけではない。 共感して受容することを目的として、必要な情報を聞き出す。

  例えば あなたがアルコール依存症の患者さんの担当になったとしよう 。そのアルコール依存症の中年男性 無精髭を生やし 服装はボロボロ髭はボーボー。とても不衛生で毎日朝から夜まで酒を飲んでは吐いて、手は震え、呂律も回らず、 医者や看護師は酒をやめなさいと言うが、 しかし止められない。 入院すれば酒は止められるが 、退院して一人の家に帰れば酒を飲む。それだけの生活になる。 あなたはこの患者にどうやって共感し受容するだろうか 。この情報だけでは 受容も共感も全くできない。 だから話を聞く必要がある。 どうしてこの人は毎日酒を飲むのだろうか。 依存症だからだ 。しかし最初っから依存症だったわけではない。 なぜ飲み始めたのだろうか 。アルコール依存症うつ病は 相関と言うかよく合併することが多いというのは知られている 。この人はうつ病なのだろうか 。うつ病とまではいかなくてもうつ状態なのだろうか。 なぜうつ状態なのか 。家に帰れば一人と言うが、結婚はしていないのか。 妻や子供はいないのか。 離婚したのか。死別したのか。 親はどうしたのか。兄弟はいないのか 。アルコール依存以外の病気はないのか。体は健康か。 仕事はどうしているのか。経済状況はどうなっているのか。 本人は酒をやめたいのか。 何か悩んでいる事、気になっていることはあるのか。

 こういったことを考える。 そして聞く。 聞くと言ってもストレートに質問したって 答えは簡単には帰ってこない 。少しずつ、事実的な面から聞いていく。価値観や感情に触れる話題にいきなり突っ込むのはリスキーだ。 これらの情報は非常に個人的な話であり 彼の内面に直結する話でもある 。否定されたり批判されたりすれば 傷つく。 だから本心はなかなか話さない 。感情や思考思想、 そういったパーソナリティの部分は 信頼されるまでは 包み隠されることが稀ではない 。こうして少しずつ彼を取り巻く環境を知り、その人生に思いを馳せ、今の気持ちを聞き取る。すると例えば「この人は以前から、辛いときには立ち向かうよりも逃げるタイプ」「しかし、周囲に支えてくれる人がいれば立ち向かえるタイプでもある」「今回は自分の交通事故で妻子を亡くし、両親は認知症で頼れず、故に酒に逃げてしまった」「ああ、そんな状況であれば、酒に逃げたくなるのも仕方ないかもしれない」と僅かなりとも感じられれば、彼にとっての救いともなろう。すると、「逃げたくなる気持ちはわかるが、酒以外の対処法を見つけよう」「そういえば、若いころは音楽が好きで音楽バンドを組んでいたらしい。ならば、音楽は酒の代替品になるのではないか」などと、適応を促進するためのヒントも見えてくれば、それは出来過ぎな顛末だろう。

 

相手を病名で考えない

このようにしてラポールを形成することを目指す。相手を一人の人間として尊重する。尊重とはいったい何か 。一つ言えることは 相手はアルコール依存症ではなくて一人の中年男性であり 彼にはまた彼の人生の歴史があって家庭環境があってあなたと同じ感情があり、ものを考え、悩み、そして今があるということである。 それを忘れなければ 自然と相手を尊重しラポールが形成されることになる 。具体的な言葉かけ、言葉の内容、態度なんかは 後から自然についてくるものであり、 画一的な正解はない。 それはもう当然のことである。 そもそも 治療者にも個性があり 各自の個性を生かした患者とのラポール作り、関係作りができるようになるのが理想である。 初めは尊敬できる誰かの真似をするのも良い。 だが完璧にコピーすることは不可能だろう。その境地に至って初めて自分らしさ、自分なりの患者との関わり方というのが見えてくるであろう。 このようにして 患者の人生を 傾聴するのである。 すると共感、受容 できるかもしれない。また、いくら聞いても共感受容できない事柄も出てくるだろう。それも重要な情報である。それについては精神病レベルの話「了解可能性」の問題であったり、パーソナリティ障害や自閉症スペクトラム障害、そもそもの文化的相違などがあるかもしれない。それについては、また別の回とする。

 これは診断や 治療に 直接的に そして究極的に影響するわけではない。故にこうした発想を重視しない精神科医も多い。が 、長い経過になる患者さんとの 最初の一歩としては非常に重要なものであると思う 。少なくとも私は、こうした発想を抜きにして長期間、患者と会い続けることは困難が伴う。

心理療法や精神療法と言うと 一回1時間のあのカチッとしたもの を思い浮かべる方も多いが そうではない。 その考え方、そのテクニックは 普段の5分間再診 の外来患者にも十分応用できるし、 治療がうまくいかない患者について考え直す時に、 こうした発想は何かしらのヒントを与えてくれるであろう。

笠原嘉の『外来精神医学という方法』

笠原嘉先生の『外来精神医学という方法』を読んでいる。

笠原先生の本では、『精神科における予診・初診・初期治療』が有名だが、この本もまた良書である。というか、すごい好き!

引用したい文章がたくさんあり過ぎて困るが、以下に3つほど引用してみる。【】は筆者が勝手に項目づけたもの。また引用は正確な文章ではないことも明記する。

【精神療法について】
うつ病統合失調症も含めた患者さんへの心理療法。この三〇年間に大学は精神療法を教えず、関心をもたせなかったが、これからの修復はちょっと絶望的かも。
精神療法ってのは人間全体を考える、人間の成熟可能性を考えること。
脳次元に効く薬を使いながら、最上部の人間次元まで、家族のことも含めて視線を向ける。
――15

 

 

【医師ー患者関係】
薬物療法とか心理療法とか認知行動療法とか、個別の治療法を行う「以前」のところにある、医師ー患者関係がアルファでありオメガである。
時々患者さんが、本当かどうかわかりませんが、いっぺんもこっちを向いてくれない先生だったので、決心して病院を変えました、などという。他の科はともかく、精神科はちょっとの時間でも正対しないと悪い。診察室では感情診断とかラポールとかが大事、診療室の一番のベースには感情の問題があると思う。
ーー7
 
【理念型】
マックスウェーバーの言葉。理念型に照らして、はじめて実在の個々の患者を観察し比較し秩序づけることのできる、基本概念。
 ーー38

 

 
 確かに、精神療法の重要性を説く世代は50代後半~60代以降の先生が多い。そして私はそういう先生たちに憧れて精神科医を目指した。少なくとも私は精神療法を重視していきたい。
 
理念型については、典型的イメージ、イデア的なことを連想した。まず神経症のイメージがあって、それと比較して眼前の患者はどの程度合致しているか否かを見る、ということが重要だろう。DSMの診断基準も、イデアの特徴を個別に記述したものであり、イデアから診断基準は作れるが、診断基準からイデアは作れないのが、肝要な点だと思う 。そうした神経症自体のイメージを膨らませるためには、やはり人間知が必要であり、ラポール形成などによる人間同士の対面がその礎になると考える。
 

医学部学士編入を考えた経緯 ある臨床心理士の場合

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臨床心理士として働いていて、辛いと感じたことはありませんか?

特に医療領域で働いていると、様々な問題に直面するはず。

私が臨床心理士として働くことを辞め、医学部学士編入の道を志した理由も、主にはそこにありました。

というわけで、臨床心理士として医療領域で働く際の困難に触れつつ、私が医学部学士編入を志した経緯について触れていきたいと思います。

 

私が臨床心理士を辞めて(アイデンティティとしては臨床心理士のままだが)、医学部学士編入を志した理由は主に3つある。①学問的理由②病院内における立ち位置的理由③経済的理由、だ。

 

臨床心理士は臨床心理学の専門家である。

 

何を当たり前のことを、と思われるでしょう。しかし、私にはわかっていなかった。

 

よく聞かれる質問として「臨床心理士って何をする仕事なの?」がある。頻出どころか必出の質問だ。これに対しては様々な答え方があるが、その一つとして「ストレスでお腹が痛くなったりするでしょう。心と身体は繋がっている。臨床心理士は心を経由して身体的問題や社会的問題などクライアントが困っている問題にアプローチするんです」的なものがある。

 

そうなのだ。臨床心理士はクライアントの問題について、受容と共感をベースに、心理学的視点から分析・考察し、仮説・見立てをもとに試行錯誤しながら、クライアントの援助を行っていくのだ。

 

しかし、実際に総合病院精神科で働いてみてわかったことがある。それは、心→身体も勿論あるのだが、身体→心もめちゃめちゃたくさんあるということだ。この辺りは、心身二元論とか一元論とか、込み入った話になる。

いずれにせよ、心と身体には相互作用があり、双方向性だと思っているが、それならば身体についても理解しなければ心を知ることはできないのではないか、と率直に考えました。臨床心理学を学ぶ大学院では脳機能や代謝内分泌系についてほとんど学ばなかったが、それではいけないと個人的には思う。

 

そんなわけで、臨床心理学をやる上でも、最低限の医学知識、というか人間の生理学については知る必要があると考えた。

※公認心理士試験ではわずかながら精神医学や脳神経についての出題があるよう。

 

病院内における私の意義

 

臨床心理士の病院内におけるポジションの問題がある。これは、病院によってかなり違うのだろう。臨床心理士精神科医療において中心的な役割を果たし、医師と対等に独自の専門性を発揮している職場もあるらしい。が、多くの場合はそうではないと考える。公認心理師の条文でも議論の湧いたところであるが、医師の指示のもと、心理検査や予診とりを行う心理士がほとんどではないだろうか。まれにカウンセリングも行っている医療機関があるくらいだろう。

しかし、私がここで言いたいのはポジションの問題ではない。そんなことは、どうでもいいのだった。問題は、責任の所在である。私は、幸運にもカウンセリングを行う総合病院精神科で勤務できた。そして週に数件のカウンセリングを行う、つまり数人のクライエントを担当するカウンセラーであった。このクライエントに対して、私は、その治療における責任を持ちたかったのだ。しかし、もし仮にこのクライエントが治療の過程で自殺したとしよう。その責任は私に向くだろうか。否、おそらくは主治医に向かうだろう。割合の問題だったとしても臨床心理士の方が主治医よりも責任が重くなることは、(臨床心理士のカウンセリングに明らかな問題が無ければ)ないだろう。

私にとっては、これが不満であった。これから長い人生を臨床心理士として、病院で働くと考えたときに、この責任の軽さでやっていきたくない、と考えたのだ。最終的に主治医が責任を取るのに、どうして自分がクライエントの治療方針に口を挟めるだろうか。

※もしもクライエントに不利益があった場合、個人的にも道義的にも私は責任を強く感じますが、それを主治医と比較した場合に、病院的に医療的にどうか、という話です。また、そもそも責任の感じ方を他者と比較することの是非、という問題もありますが、当時はそのように考えた、という話です。

 

まあ要するに、居ても居なくても変わらない存在のまま生きていくことが嫌になったのでした。

 

家が買える未来が見えない

 

最後は、現実的な問題です。臨床心理士は大学院を出ているにもかかわらず、その95%は経済的に非常に厳しい状態にある。私は1年目はSC(スクールカウンセラー)と病院を半々、2年目はSC:病院=2:8、3年目は病院のみだったが、収入は漸減であった。SCは非常勤だが時給は良い。しかし、私は病院での仕事が好きであった。

結婚や住居、子育て、老後の貯金などを考えたとき、この給料では厳しい。というか無理だ。臨床心理士は好きだが、食っていけないのだ。貧すれば鈍するのである。

 

チャンスは道を知ること

このように、アカデミックに考えて①の問題があり、私のアイデンティティの観点から②があり、現実的に③があった。この合わせ技で医師への道を何となく考えていたところに、精神科後期研修医がやってきた。彼はもともと製薬会社関係の人であったが、医学部学士編入をしてここにやってきたらしい。「学士編入ってなんですか?」という私の質問に丁寧に答えてくれ、またKALSについても紹介してくれた彼は、一種の命の恩人でしょう。

そこで、大学院の頃の指導教授(就職後もスーパーバイズでお世話になっていた)に、医学部学士編入の相談をしてみたところ、背中を押され、覚悟を決めたわけですね。

 

そうして、私は一部の親密な方にのみ、学士編入のことを伝え、その年の3月で職場を退職し、医学部学士編入のイバラの道に突入したわけですが、やはり簡単ではなかったのでした。

 

まとめ

 

臨床心理士として働くと、上記①②③は誰もが一度は通る道ではないでしょうか。私は医学部学士編入を選択しましたが、その他にも様々な問題解決法があると思います。

それぞれのやり方で課題を乗り越えていく力を、臨床心理士の皆さまは持っているはず。

医学部学士編入→KALSに行こう

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医学部学士編入といえばKALS。

学士編入については、河合塾の学士編入試験情報サイトを確認するのが最初の一歩だと思います。また学士編入まとめサイトもある程度は参考になるが、ここは見過ぎると不安になるだけなので、ある程度距離をとった関わり方が重要かと思います(私は、学士編入を考えた最初の時期に情報を漁っていて、その時期に触れただけ)。

 

下はKALSのURL。

https://www.kals.jp/medical-trn/

 

河合塾学士編入、通称KALSは、医学部学士編入を考える受験生にとってはほぼ必須といってよい受験予備校で、学士編入受験生の9割、そして合格者の9割がKALS生といわれています(私調べ)。KALSじゃない1割はというと、元々理系の旧帝大レベルの高学歴だったり、海外の有名大学を卒業していたりする、超高学歴が主だと思われます。

 

KALSの無料説明会で直面した驚愕のデータ!!

さて、KALSでは定期的に各地方で学士編入受験についての話がきける説明会を催していました(無料!!)。KALSは講座料金がめちゃ高額なので、躊躇する人も多いはず。そのため、この無料説明会は、行けるのであれば行くとよいかと。私も初めはここから入りました。

 

しかし、説明会では衝撃の事実に直面させられました!!KALS説明会では合格者の分布など様々な学士編入関連情報を紹介されたのだが、まず、元の学歴で理系が7~8割近く。これはまあ良い。次に、合格者の9割が通学生(KALSは新宿や名古屋などの塾に通うほか、映像配信によるネット講座型がある)。これは大きかった。私はKALSの通学が不可能であったため、ネット講座で行こうと考えていた。しかし、通信型で合格した文系は1割以下ということになる。

 

KALSの通信と通学のメリット・デメリット

結果的に、私はその1割以下の合格者になったわけですが。ここで通信と通学のメリット、デメリットを考えたい。

通信のメリットは、自分のペースで勉強できる、動画なので逆戻し、一時停止、繰り返しなど自由自在。周りの動向に影響されない。

デメリットは、受験関連の情報不足になりがち、自分の意志に左右される、質問しにくい。

通学のメリット、デメリットはこの反対でしょう。

 

私の場合、周りの動向に影響されない点は重要でした。決死の覚悟で元の仕事を辞め、実家に帰って受験勉強に専念したため、モチベーションは120点。もともとは意志薄弱の怠け癖ありの自分にも他人にも甘い人間でしたが、この時ばかりは鬼となりました。しかし、その反動として、他の受験生は全員敵という認識だったため、他の受験生が見えない環境は非常に重要なメリットでした。ただし、勉強方法などは相談しにくいため、講義中の井出先生の話や、模擬試験の成績の推移などから自己客観視と試行錯誤が必須となります。

 

ただ、合格後の通学KALS生から聞いたエピソードなどを鑑みても、やはり自分には通信型が適していたと考えます。みんなと協力して情報交換しつつ頑張りたい、という人はぜひ通学型をオススメします。自宅から通えない場合は、予備校近くにアパートを借りる方もいるそうです。

 

次回予告

次回は、私の学士編入を決心した経緯、実際の受験勉強スケジュールや試験会場で初めて見たほかの受験生の姿、合格後に聞いた通学生のエピソードなどを紹介していきたいと考えています。

 

また、臨床心理士が知っておくべき身体疾患として、症状性精神障害について、医師国家試験レベルでのキーワードまとめなどもしてみたいと考えています。

不定期更新ですが、今後ともよろしくお願いいたします。

医学部で見出した勉強法【ストレス軽減】

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私は勉強が好きではない。寧ろゲーム大好き人間だ。スマホゲームもPS4も絶賛継続している。主にやっているのは城とドラゴン、ガンダムバトルオペレーション2。どっちも面白くてつい。

 

だけど、やっぱり勉強しないとね。試験でも実習でも困るし、何より仕事で困る。患者さんに不利益を与えてしまう。

 

とはいえ、やはり勉強はストレスなことが多い。先日、後輩と話していたときに

臨床医学の勉強って、どうしたらいいの」

と聞かれた。基礎医学は教科書+レジュメ+過去問でOKだったが、臨床(=臓器別の病気についての科目)ではどう勉強したらいいのか定まらない、という趣旨の質問だった。

 

確かに、そこは私も悩んだポイントだった。毎日朝から晩まで講義があり、細かい知識までふんだんに盛り込まれる。全部覚えて理解できればいいが、それは無理。だからポイントを抑えたいけど、ポイントがどこなのか分からない。臨床医学の講義は、始めそういった印象だった。

また、私の場合、基礎医学にあまり興味が持てず、当初は非常に苦しかった。もとが文系な頭のため、理系的な色が臨床よりも濃い基礎医学では、さらに難しかった。

  

が、試行錯誤の末、楽しみ方を見つけた。以下、当たり前のことだが、つらつらと書いてみる。なお、効率の良い勉強法ではなく、いかに勉強におけるストレスを軽減するかが主眼である。記憶に残る勉強法などは、別のものを参照されたい。

と、各論に入る前に、大前提をおさえたい。それは、

勉強の成果=量×質×自分の頭

である。質とは、勉強法であり、それは様々な勉強法で言われている。自分の頭に合った勉強法を各自で探すしかない。私は過去問を見てから教科書を読む派だが、教科書から読みたい人もいる。私は臨床現場での問題意識を持ってから勉強したいが、最初から勉強に入れる人もいる。だが、どんなに質の良い勉強法と賢い頭を持っていても、量(時間)が必要なのだ。量を確保するためには、継続が必須である。1日は24時間しかないのだ。そのため、ここで話すことは全て、量の確保=継続の工夫である。それでは以下に続く。

  

全体像を俯瞰する

基礎医学臨床医学の位置関係を把握する必要がある。この2つは車の両輪と言ってよい。基礎がわからないと臨床がわからない、とは言い過ぎだが、基礎があっての臨床である。また臨床の成果が基礎還元される。まあそんな高尚なことではなくとも、例えばホルモンや尿細管などの話は、基礎の時点では全くもって面白みが湧かなかったが、実際にホルモンの過不足疾患や、尿細管での電解質の吸収排泄がそのまま病態・症状に直結することを知ると、もっと基礎をやっておけばよかったと思う。というか、今やっている基礎の知識がそのまま病気の理解につながることを示して欲しかった。基礎がつまらない人は、臨床の関連する領域を勉強してみると、少しは関連が見いだせて、楽しみにつながるだろう。

要するに、現在の勉強が全体におけるどこの学習なのか、全体像を把握することが重要である。

「どうして数学をやるのか。微積分なんて何の役にも立たない」とのたまう高校生をたまに見るが、微積分が何の領域でどれほど役に立つものなのか、一度調べてみるとよい。大事なことは全体におけるその部分の役割なのだ。

 

ゴールを設定する

自分の到達地点が定まらないと、動き出せない。試験までの2か月、CBTまでの1年、国家試験までの3年など、時間が決まっても、距離がわからなければ速度が定まらないのだ。逆に言えば、距離=ゴールが決まれば、自ずと必要な速度が見えてくる。定期試験やCBT、国家試験、USMLEなどの過去問を見てみよう。CBTでは疾患の機序、症状、検査。国家試験ではさらに治療ここが問われる。初期研修医ではここまでが求められる。専門医であればその先。

 

とにかく楽しむための工夫をする

子供の頃、「将来のために勉強しなさい」なんて言われても気持ちは動かなかった(気がする)。将来のために勉強が有効なのはわかっていても、できないもんです。だって楽しくないから。ということは、楽しければいい。ご褒美を作ってもいいし、友達と一緒にやってもいい。一人で歌い、踊り、叫びながらやるのもいいだろう(私です)。そうして勉強して、楽しくすることが重要。がり勉キャラが知識をひけらかしてくる、というシーンを現実でも漫画でもテレビでも見るが、彼らはそうすることで楽しみを見出しているのだろう。

ちなみに、私は精神科医志望であり、元から『精神医学』や『精神科治療学』など雑誌を読むのが好きだったので、精神科領域に関してはどんなものでも好きだった。 好きではない勉強の合間に、そうした雑誌に目を通すという、「好きなものサンドイッチ作戦」で乗り切っていた。もちろんゲームサンドイッチもした。

 

まとめ 

盲目的に目の前の課題に集中できない人は、全体を俯瞰する、試験の要点をおさえる、といったことを一度考えてみると良いかもしれない。

 

医学部体験記② 医学部生たち

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*医学部ってどんなところ?

ちょっと想像してみてください。医学部って一体どんなところでしょうか。

今回は、知られざる医学部について大雑把に書いていきたい。

 

お金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんの集まり?インテリのがり勉と天才ばっかり?今どきの大学の傾向に漏れず、やはり動物園?(最近の大学って、本当に動物園って言われたりしますよね)。

 

私は現役時代、進学校と言われる高校に通っていたが、当時の私の成績は学年で下から10番くらい。医学部を狙う上位勢を、雲の上の存在だと本気で考えていた。だから、念願かなって医学部学士編入に合格したときには、うれしい反面、不安もあった。どんな世界なんだろうか、と。

 

結論から言うと、確かに金持ちの傾向にあり、みんな優秀な頭脳を持ち、そして講義室の後ろは動物園だった。

 

*はじめての講義

はじめての講義は解剖だった。座学と実習を織り交ぜた時間割となっていたのだが、最初の座学が、衝撃の体験であった。講義がはやい。とにかくはやい。先生は1~6コマまでずっと、怒涛のはやさでレジュメを進めていく。全く理解が追い付かない。無理だった。しかし現役医大生は平気な顔をしている。余計に不安になる。

 

後で聞いたら、「ああ、俺もわからなかったよ。でも後で勉強すればいいから」とのこと。勉強慣れしているのだ。とにかく彼らは試験慣れ、勉強慣れしている。学習に関して、頭脳が最適化されているのだ。ずっと野球をやってきた甲子園プレイヤーが、プロ入りしたら、プロの環境に驚きつつも適応していくように。医大生は、医師になってからも続く絶え間ない自己研鑽に、学生のうちから既に準備されている。

 

*基本的に車持ち

大学の駐車場には国産の普通車がズラリ。たまに外車もチラホラ。教職員ではなく、学生駐車場の話。しかし、彼らにとってはこれが普通なのだ。確かに私大医学部はもっとすごいらしいが、これも十分に裕福な家庭環境であることに無自覚なんだな、と思った。うう、臨床心理士の安月給を見せつけてやりたいと思った(本当は見せたくない)。

私が地方現役国立大学生だった頃は、車持ちは神扱いだった。しかも大抵は軽自動車。普通自動車もってたら、「あいつスゲー」あるいは「あいつヤベー」だった。都会では公共交通機関が発達しているから不要だが、地方では神器であった。

 

*低学年の頃の講義室後ろは普通の大学生

医学部といえども、講義室の後ろでは、携帯やパソコン、ときに携帯ゲームで友達と遊んでいたりする、こともある。勉強慣れしていると同時に、力加減も心得ていて、抜くところは抜くのだ。恋愛もするし、飲み会もするし、徹夜もすれば、サボりもする。彼女ができないと嘆くやつも、普通の大学と同じようにいる。

 

*まとめ 一括りにはできない(笑)

ここまで、医学部生を一括りにして語ってきたが、実際には色んな人がいます!なんという当たり前のオチ。

他にも、書き切れなかったが、恋愛の話、村社会で6年間の苦行話、部活の話、体育会系が多い話、痩せている人が多いというか太っている人が少ない話、看護学科との関係の話、強い女子の話、数少ないオタク系男子の話、実習の話を今後も続けて書いていきたい。

また、精神科の話や、最近のトピックスについても、覚え書きのように書いていきたい。

それでは、本日はここまで。蛙正(アセイ)でした。