医学部に学士編入した臨床心理士のブログ

医学を学ぶ必要があると考え学士編入した臨床心理士の、心理学、医学、雑学ブログ

心理療法①傾聴共感受容の序列

心理療法とは一体何だろうか

 精神療法や心理療法を考える時、様々な要素を考慮しなければならない。また様々な背景知識がその心理療法についての理解を深め、あるいは必須であろう。そうした種々雑多な事柄について総括するには大きな困難が伴う 。特に こうした勉強会においては全ての事柄を扱うのは非常に難しいだろう 。よってこの研修会では 私が重要だと思ういくつかの事柄について コメントするに留め、それ以上の詳細 なことが知りたければ各自で最後に紹介する書籍にあたっていただくのが一番かと思われる。つまりこの会で私に課せられた使命は 皆様方が心理療法や精神療法についてほんの少しでもその長所メリット 良さを実感していただき 、少し自分でも勉強してみようかなと思っていただけることとなる。ハードルが高い 大成功なプレゼンテーションであろう。 まぁ進めていくことにする。

 

傾聴・共感・受容の関係

そもそも心理療法とは一体何だろうか。

心理療法について思い浮かぶイメージを尋ねる。なんでも良い>

 一般的なイメージとしては傾聴・共感・受容、この3要素がキーワードとして、 大体 まああたっているのではなかろうか。 だが言うは易し、行うは難し。 この三つの要素を実際に完璧にできている人はそうそういない。専門家であっても常にできるわけではない。 だからこそ心理職というのが専門技術職として成り立っているのである。

この3要素は、それが目的ではない。ラポール形成、陽性転移の関係を構築することが目的である(言い切るのは危険だが)。良好な関係を作ること自体が治療的な働きを持つし、薬物療法や状態増悪に際した入院の勧めを行う際にも、ポジティブに作用するのだ。

(良好な関係、とは言ってもただの仲良しではない。母と子の関係ほど近くない、教師と生徒の関係ほど遠くない、ちょうどその2つの中間くらいの関係を、私はイメージしている。関係性自体の治療効果については、また別の回に。成熟可能性)

(患者の立場になったとき、精神に作用する薬を飲みたいと思うだろうか。私は不安と恐怖を感じる。そんなもの、飲んでも大丈夫なのか、と思う。信頼できる医師であっても怖いのだから、私の話をきちんと聞いてくれない、目も合わせない、いい加減そうな医師の薬など飲めるものか、と思う。)

 

<傾聴・共感・受容について、イメージを尋ねる>

この三つは同列だろうか。そうではないと私は考える。 受容。皆さんはあらゆる事柄を受容できますか。家族の欠点、友達の嫌いな面、酒癖の悪い先輩、教師のセクハラ、毎回試験直前に一夜漬けで乗り切る要領の良い同級生、当人の母親の悪口ばかり言う彼氏。彼らの言動を受容できるだろうか。 答えは否でしょう。 何故そんなことをするのか。相手の気持ちに立って、私の気持ちになって考えてみてくれよ。イヤな話は聞きたくない。心がすり減ってしまう。大方の人はそう思うのではなかろうか。

 

共感・受容するための傾聴

臨床心理士は、精神療法に精通する精神科医は、いかにして彼らとラポールを形成するのだろうか。受容するためには共感が必要である。共感できないことを受容するのは 難しいだろう 。では どうしたら共感できるだろうか。 自分の価値観の外にある話、常識の外にある話、つまり一見非常識な話を共感できますか。実は、というか当然であるが、人の数だけ常識がある。 皆さんそれぞれに常識・価値観があって、それが邪魔をする。もしかしたらこう考えている方もいるかもしれない。「治療者セラピスト支援者は ご自分の常識をゼロにして、空気になって 相手の全てをあるがままに受け入れる」。 そういうのは理想論ではあるが不可能である(村上春樹の小説に、そういった描写があった)。 だから傾聴するのだ。 傾聴とはつまり、ただ聞くわけではない。 共感して受容することを目的として、必要な情報を聞き出す。

  例えば あなたがアルコール依存症の患者さんの担当になったとしよう 。そのアルコール依存症の中年男性 無精髭を生やし 服装はボロボロ髭はボーボー。とても不衛生で毎日朝から夜まで酒を飲んでは吐いて、手は震え、呂律も回らず、 医者や看護師は酒をやめなさいと言うが、 しかし止められない。 入院すれば酒は止められるが 、退院して一人の家に帰れば酒を飲む。それだけの生活になる。 あなたはこの患者にどうやって共感し受容するだろうか 。この情報だけでは 受容も共感も全くできない。 だから話を聞く必要がある。 どうしてこの人は毎日酒を飲むのだろうか。 依存症だからだ 。しかし最初っから依存症だったわけではない。 なぜ飲み始めたのだろうか 。アルコール依存症うつ病は 相関と言うかよく合併することが多いというのは知られている 。この人はうつ病なのだろうか 。うつ病とまではいかなくてもうつ状態なのだろうか。 なぜうつ状態なのか 。家に帰れば一人と言うが、結婚はしていないのか。 妻や子供はいないのか。 離婚したのか。死別したのか。 親はどうしたのか。兄弟はいないのか 。アルコール依存以外の病気はないのか。体は健康か。 仕事はどうしているのか。経済状況はどうなっているのか。 本人は酒をやめたいのか。 何か悩んでいる事、気になっていることはあるのか。

 こういったことを考える。 そして聞く。 聞くと言ってもストレートに質問したって 答えは簡単には帰ってこない 。少しずつ、事実的な面から聞いていく。価値観や感情に触れる話題にいきなり突っ込むのはリスキーだ。 これらの情報は非常に個人的な話であり 彼の内面に直結する話でもある 。否定されたり批判されたりすれば 傷つく。 だから本心はなかなか話さない 。感情や思考思想、 そういったパーソナリティの部分は 信頼されるまでは 包み隠されることが稀ではない 。こうして少しずつ彼を取り巻く環境を知り、その人生に思いを馳せ、今の気持ちを聞き取る。すると例えば「この人は以前から、辛いときには立ち向かうよりも逃げるタイプ」「しかし、周囲に支えてくれる人がいれば立ち向かえるタイプでもある」「今回は自分の交通事故で妻子を亡くし、両親は認知症で頼れず、故に酒に逃げてしまった」「ああ、そんな状況であれば、酒に逃げたくなるのも仕方ないかもしれない」と僅かなりとも感じられれば、彼にとっての救いともなろう。すると、「逃げたくなる気持ちはわかるが、酒以外の対処法を見つけよう」「そういえば、若いころは音楽が好きで音楽バンドを組んでいたらしい。ならば、音楽は酒の代替品になるのではないか」などと、適応を促進するためのヒントも見えてくれば、それは出来過ぎな顛末だろう。

 

相手を病名で考えない

このようにしてラポールを形成することを目指す。相手を一人の人間として尊重する。尊重とはいったい何か 。一つ言えることは 相手はアルコール依存症ではなくて一人の中年男性であり 彼にはまた彼の人生の歴史があって家庭環境があってあなたと同じ感情があり、ものを考え、悩み、そして今があるということである。 それを忘れなければ 自然と相手を尊重しラポールが形成されることになる 。具体的な言葉かけ、言葉の内容、態度なんかは 後から自然についてくるものであり、 画一的な正解はない。 それはもう当然のことである。 そもそも 治療者にも個性があり 各自の個性を生かした患者とのラポール作り、関係作りができるようになるのが理想である。 初めは尊敬できる誰かの真似をするのも良い。 だが完璧にコピーすることは不可能だろう。その境地に至って初めて自分らしさ、自分なりの患者との関わり方というのが見えてくるであろう。 このようにして 患者の人生を 傾聴するのである。 すると共感、受容 できるかもしれない。また、いくら聞いても共感受容できない事柄も出てくるだろう。それも重要な情報である。それについては精神病レベルの話「了解可能性」の問題であったり、パーソナリティ障害や自閉症スペクトラム障害、そもそもの文化的相違などがあるかもしれない。それについては、また別の回とする。

 これは診断や 治療に 直接的に そして究極的に影響するわけではない。故にこうした発想を重視しない精神科医も多い。が 、長い経過になる患者さんとの 最初の一歩としては非常に重要なものであると思う 。少なくとも私は、こうした発想を抜きにして長期間、患者と会い続けることは困難が伴う。

心理療法や精神療法と言うと 一回1時間のあのカチッとしたもの を思い浮かべる方も多いが そうではない。 その考え方、そのテクニックは 普段の5分間再診 の外来患者にも十分応用できるし、 治療がうまくいかない患者について考え直す時に、 こうした発想は何かしらのヒントを与えてくれるであろう。